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横浜地方裁判所 平成5年(ワ)1664号 判決

原告

山本スズヱ

ほか二名

被告

有限会社大乗苑企画

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(一)  被告は、原告山本スズヱ及び同高橋夕美子に対し各一一三八万八〇〇〇円、同山本昭男に対し五六九万四〇〇〇円、並びに右各金員に対する平成四年八月二五日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言

2  被告

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

二  当事者の主張

1  請求原因

(一)  訴外佐藤力(以下、「亡佐藤」という。)は、平成四年八月二五日午前零時四五分ころ、神奈川県足柄上郡山北町山北二六三番地先路上において、被告保有の普通乗用自動車(相模五二も五六〇二。以下「被告車」という。)に轢かれて死亡した(この事故を「本件事故」という。)。したがつて、被告は、自動車損害賠償保障法三条に基づき、亡佐藤の死亡による損害を賠償すべき義務がある。

(二)  亡佐藤の死亡による損害は、次のとおりである。

(1) 葬儀費用 一二〇万円

(2) 慰藉料、 一八〇〇万円

(3) 逸失利益 三六六九万円

右の算定要因は次のとおりである。

〈1〉 収入 月収・三二万円、年間賞与・月収の五か月分

亡佐藤は、本件事故当時、特殊開発株式会社に勤務して発破作業に従事し、月額三二万円の給与を得ていた。賞与は、勤続期間が四か月であつたため二〇万円であつた。しかし、同人は発破の技能に優れており、永続して右会社に勤務することが可能で、同会社もその予定であつた。同人は、一年以上継続して勤務した場合には、右会社から年間少なくとも月額給与の五か月分の賞与の支給を受けることができた。

〈2〉 生活費控除率 五〇パーセント

〈3〉 死亡時年齢 四四歳

〈4〉 就労可能年齢 六七歳

〈5〉 右に対応するライプニツツ係数 一三・四八八五

(4) 弁護士費用 二五八万円

(三)  原告山本スズヱ及び同高橋夕美子は亡佐藤と両親を同じくする姉妹、同山本昭男は亡佐藤と父を同じくする兄弟であり、法定相続分に従つて亡佐藤を相続した。

(四)  原告らは、亡佐藤の死亡による損害について自動車損害賠償責任保険から三〇〇〇万円の支払を受けた。

(五)  よつて、原告らは、自動車損害賠償保障法三条に基づき、被告に対し、支払を受けていない損害二八四七万円について、原告山本スズヱ及び同高橋夕美子はその各五分の二である各一一三八万八〇〇〇円、同山本昭男はその五分の一である五六九万四〇〇〇円、並びに右各金員に対する亡佐藤の死亡の日である平成四年八月二五日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

2  請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)(三)(四)の各事実は認める。

(二)  同(二)は、亡佐藤の収入についての事実関係は不知、損害額は争う。

3  被告の抗弁

亡佐藤は、深夜、極めて暗く見通しの悪い私道の曲り角に泥酔状態で横臥していて被告車に轢かれたもので、本件事故は同人の全面的過失によつて発生したものである。仮に、被告車の運転者に何らかの過失があつたとしても、亡佐藤の過失割合が六割を下回ることはない。そうすると、過失相殺後の亡佐藤の死亡による損害は原告らが既に支払を受けた金員によつて填補されており、もはや原告らの損害賠償請求権は存在しない。

4  被告の抗弁に対する原告らの答弁及び反論

(一)  答弁

本件事故現場が見通しの悪い私道であること、亡佐藤が泥酔状態であつたこと、は否認する。亡佐藤が横臥していたことは不知。その余は争う。

(二)  反論

本件事故現場は、南方の国道二四六号線から北方に約三〇メートル入つた町道で、その先はY字形に分かれているところ、左側は民家で行き止まりであり、右側も種徳禅寺の駐車場で行き止まりである(なお、右駐車場へ行く道の手前に東方への農道がある。)。したがつて、本件事故現場は、通る自動車も、左側の民家、種徳禅寺、同寺の境内に住む被告代表者らの各保有するものに限られており、車両の交通は昼間でも極めて少なく、夜間はほとんど皆無である。しかも、本件事故当時、被告車が進行していた種徳禅寺の駐車場方向へは本件事故現場の手前から上り坂になつており、前方路面が運転者の目の高さに見えるため、見通しは極めてよかつた。亡佐藤は、前記の農道を歩いて自宅へ帰る途中であつたのであり、同人が轢かれる前にどのような体位でいたとしても、運転者がこれを轢くことは困難である。運転者は前方を見ていなかつた場合以外には亡佐藤を轢きようがないのである。しかるに、亡佐藤は右の坂の途中で轢かれたのであるから、被告車の運転者は、同乗者との会話に気を取られるかどうかして前方を全く見ていなかつたものと推察されるのであつて、本件事故は被告車の運転者の重大な過失によつて生じたものであり、亡佐藤の過失によるものではない。

5  原告らの反論に対する被告の再反論

原告らの反論は、(1)本件事故現場が極めて暗かつたこと、(2)現場直前のカーブでの見通しが悪かつたこと、(3)亡佐藤が横臥していたこと、(4)前照灯を点灯して走行しているとき上り坂のカーブでは死角があること、等を捨象した議論である。以下、各点について述べると次のとおりである。

(一)  現場の暗さ

本件事故は午前零時過ぎという深夜に発生したものであるところ、現場付近の照明は現場から七メートル余り離れた電柱に取り付けられている水銀灯のみであり、しかも、それは右の電柱の隣の大きな桜の木の枝葉(八月で、葉が繁つていた。)によつて遮られ、ほとんど照明としての用をなしていなかつたため、本件事故現場は極めて暗かつた。

(二)  現場直前のカーブでの見通し

右(一)の現場の暗さに加えて、事故当時は付近の桜の木の下枝も繁つており、現場直前のカーブでの見通しは悪かつた。

(三)  亡佐藤の横臥

原告らの主張によると、亡佐藤は現場付近から東方へのびる農道を歩いて自宅に帰る途中であつたというのであるが、そうだとすれば同人は被告車の進行方向と同じ方向に歩いていたことになり、そこへ被告車が追突したとすると、特段の事情がない限り、歩いていた方向に俯せに倒れ、そのままの状態で轢過されたはずである。ところが、現実には亡佐藤は仰向けの状態で轢過されている。また、本件事故当時、被告車を運転していたのは被告代表者であつたが、同人はおろか、同乗していた同人の妻も衝突による衝撃を全く感じていない。乗用車を運転しているときに歩行中の成人男性に衝突して転倒させれば、仮に前方不注視があつたとしても、その衝撃を全く感じないということは到底考えられない。被告車の車体に衝突による傷などがなかつたことも警察で確認されている。さらに、被告代表者は、本件事故直後に運転席のドアを開けた瞬間、亡佐藤の倒れている付近から酒の強い匂いがするのを感じている。本件事故以前にも亡佐藤が酒に酔つてしばしば路上に寝ていたことは近隣の人達の知るところである。本件事故の場合も、亡佐藤は、飲酒後の帰宅途中、酔つて本件事故現場で寝ていたものと考えられるのであり、同人が現場で横臥していたことは明らかである。

(四)  死角

本件におけるように、極めて暗い中を前照灯を点灯しながら自動車を進行させる場合、運転者は、前照灯で照らし出された最も明るい前方部分を見つつ運転せざるを得ない。前照灯で照らし出された最も明るい部分とその周りの暗い部分とでは極端に明るさが違うため、周りの暗い部分については視力が働かないからである。ところで、現場付近は、種徳寺の駐車場に向かつて上り坂の右カーブになつている。カーブに従つて自動車を進行させた場合、車輪の向きと車体の向きとにずれが生じ、いわば車輪の向きに車体の向きが遅れてついていく形となる。そうすると、亡佐藤が横臥していた地点が明るく照らし出されるのは、その地点の直前に至つてからである。しかし、直前に至つても、横臥している亡佐藤はボンネツトで死角に入つているうえ、上り坂では運転者の上体が重力で座席の背もたれに押し付けられる形になり、必然的にその視線も上方に向いてしまうので、亡佐藤の発見は困難である。

三  証拠関係

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  請求原因(一)の事実(本件事故の発生と被告の責任原因)は当事者間に争いがない。

二  そこで、亡佐藤の死亡による損害について判断する。

1  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、亡佐藤の葬儀について一二〇万円を下らない金員が支払われたものと認められるところ、本件事故と相当因果関係のある損害としては一二〇万円をもつて相当と認める。

2  慰藉料

原告の存在・成立に争いのない甲第六号証、成立に争いのない甲第二号証、第九号証、証人中島靖二の証言及び原告山本スズヱ本人尋問の結果によれば、亡佐藤は昭和二三年一月一日生まれの独身男性で、本件事故当時は特殊開発株式会社に勤務して発破作業に従事していたことが認められる。右事実によれば、亡佐藤に対する死亡慰藉料としては一八〇〇万円をもつて相当と認める。

3  逸失利益

右2認定のとおり、亡佐藤は、昭和二三年一月一日生まれの四四歳の男性で、本件事故当時は特殊開発株式会社に勤務して発破作業に従事していたところ、前掲甲第六号証、第九号証、成立に争いのない甲第八号証の一ないし七及び前掲証人中島の証言によれば、亡佐藤は、平成四年四月一日から死亡前日である同年八月二四日までの間、右会社から月額三二万円の割合による給与と二〇万円の賞与の支払を受けていたこと、本件事故に遭わなければそのまま右会社に勤めて、少なくとも右程度の月額給与と年間二か月分給与程度の賞与を得られた可能性が高いこと、以上の事実が認められる。なお、原告らは、年間少なくとも月額給与の五か月分の賞与の支給を受けることができたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

右事実によれば、亡佐藤の逸失利益算定の基礎とすべき年収は四四八万円と認めるのが相当である。したがつて、同人の逸失利益の本件事故時の現価は、生活費控除率を五〇パーセント、就労可能年数を六七歳までの二三年とし、年五分の割合による中間利息の控除について右の二三年に対応するライプニツツ係数一三・四八八五を適用して算定した三〇二一万四二四〇円をもつて相当と認める。

4  弁護士費用

本件事案の性質、審理の経過、その他本件に現れた一切の事情を勘案すると、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は一〇〇万円をもつて相当と認める。

5  損害合計

以上によると、亡佐藤の死亡による損害は合計五〇四一万四二四〇円である。

三  被告の抗弁について判断する。

1  成立に争いのない甲第一号証の一ないし二六、原本の存在・成立に争いのない乙第一号証、原告山本スズヱ及び被告代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場付近の場所的状況は、概ね、別紙「交通事故現場見取図」(以下「見取図」という。)のとおりであり、本件事故現場は、旧国道二四六号線から南北に通じる町道を北方に約三〇メートル入つた辺りから東側方向道路への曲り角である。右の曲り角は、北方から進行した場合、勾配約一〇〇分の一〇程度の上り坂である。なお、右町道から先は、自動車が通行するものとしては、右の東側方向へ行く道路と西側方向へ行く道路とに分かれているが、前者は種徳禅寺の駐車場で行き止まりであり、後者は民家で行き止まりである。したがつて、本件事故現場付近の車両の交通量は、特段のことがない限り極めて少ない。特に夜間はそうである。

(二)  被告代表者荻野長年(以下「荻野」という。)は、外出先から帰宅するため被告車(妻が同乗していた。)を運転し、種徳禅寺の駐車場へ向かおうと、時速一〇キロメートル台の低速で、前照灯を上向きにした状態で、前記の町道から東側道路への曲り角に差しかかつた。付近には進路右側の電柱の街灯が一つ点灯されてはいたが、深夜の曲り角で、しかも右側に三本の桜の木(直径は、約二八センチ、約一三センチ、約二〇センチ)があり、その繁つた葉や枝のため東側道路への見通しは悪く、路面も暗かつた。

(三)  荻野は、見取図の〈2〉地点でハンドルを右に切つて曲り角を右に曲がりかけ、五メートルほど進行した同図の〈3〉地点で、ハンドルには格別の衝撃はなかつたが、タイヤが何かに乗り上げたような「ガタツ」というシヨツクを感じ、同図の〈4〉の地点で被告車を停めてドアを開けたところ、被告車の下に亡佐藤を発見した。ドアを開けた途端、荻野は酒の匂いを感じた。荻野は、被告車及び亡佐藤をそのままの状態にして直ちに警察に連絡をした。

(四)  担当の司法警察員が到着した際の本件事故現場の状況は次のようなものであつた。すなわち、被告車は見取図の〈4〉の地点に東方を向いた状態で停車していた。亡佐藤は、頭を東方側にして、被告車の右前輪外側に顔を出し、仰向くようにして身体の左側面を車両下部から出したうえ、両手を胸に乗せて左右の膝を曲げ、両踵を接するようして倒れていた。口からは血を出し、口元に接した被告車右前輪のホイールに血が点在していた。そのそばにはカバンと帽子があつた。そして、救急隊員が亡佐藤を被告車の下から出したところ、頭部が位置していた右前輪の横に六×一八センチの広がりで血痕があり、右前輪にも血痕が付着していた。被告車には格別の破損は視認されなかつた。

(五)  本件事故当夜、亡佐藤は、夕方から行きつけの飲食店などでビールを飲み、午後一一時四五分ころ同店を出た。同人は、前記東側道路の南側にある農道の先の山北町山北二八七番地に居住しており、事故現場は右飲食店から自宅への途中に位置していた。

(六)  本件事故について、被告車を運転していた荻野は不起訴となつた。

以上のとおり認められる。この認定を左右するに足りる的確な証拠はない。また、右認定の事実関係を超えて、被告の抗弁の当否の判断に影響を及ぼすべき事実を認めるに足りる証拠もない。

2  右認定事実によれば、亡佐藤は、帰宅途中、本件事故現場道路右側に頭部を東方に向けて横臥している状態で被告車に轢過されたものと認めるのが相当であり、極めて交通量が少なく、しかもその先は行き止まりになつている場所とはいえ、駐車場へ通じる上り坂になつている曲り角で、深夜、見通しの悪い道路上に横臥していた点において、同人に本件事故発生についての過失があつたことは明らかである。

原告らは、本件事故現場の見通しは極めてよかつたとし、これを前提に、「亡佐藤が轢かれる前にどのような体位でいたとしても、運転者が前方を見ていなかつた場合以外にはこれを轢きようがない。ところが、亡佐藤は轢かれたのであるから、被告車の運転者は前方を全く見ていなかつたものと推察される。本件事故は亡佐藤の過失によるものではない」旨、主張する。しかし、まず、見通しの点についてこれを採り得ないことは前記認定のとおりであるだけでなく、仮にそれを措くとしても、道路上に人が横臥しているなどということは普通予想し得ない事態であり、本件事故が、深夜、もともと交通量が極めて少ない、前方行き止まりの場所で発生したものあることを考えると、荻野において亡佐藤を発見しないまま被告車を進行させ、その結果本件事故に至つたことを挙げて荻野の過失ととらえることは到底できない。

一方、被告は、本件事故は亡佐藤の全面的過失によつて発生したものである旨主張する。しかし、右に認定・説示したように亡佐藤に過失があるにしても、荻野にも過失がある。車両を運転する者は、常に必ず自車の進路前方を注視し、その安全を確認しなければならないことはいうまでもない。本件事故は、被告車の進路前方に横臥していた亡佐藤の身体に被告車を乗り上げて轢過したというものであり、荻野は前方の亡佐藤を発見しないまま被告車を進行させたのであるから、荻野に前方の安全確認を怠つた過失があることは明らかである。前記認定のように、本件事故現場付近は極めて交通量も少なく、被告車の進路前方は行き止まりであること、見通しが悪く、路面も暗かつたこと等の事情があり、さらには、これに加えて、被告が「原告らの反論に対する被告の再反論」の(四)で主張しているような事情があつて亡佐藤の発見が困難であつたとしても、そのまま進めばおよそそれを乗り越えることになるような障害(亡佐藤)が存在しているというのに、これを事前に確認しない状態で車両を進行させてよいことにはならない。場所的・時間的悪条件に自車の機能的制約が重なつて前方の障害を発見することが困難な状況にあつたのであれば、車両運転者としては、なおさらそれを踏まえて、十分に進路前方の安全を確かめるに足りる運転方法をとるべきである。

3  以上によれば、本件事故は亡佐藤及び荻野の各過失があいまつて発生したものというべきであり、両者の過失割合は五対五と認めるのが相当である。したがつて、亡佐藤の死亡による損害については右の割合による過失相殺をすべきである。

4  前記二で認定した亡佐藤の死亡による損害合計五〇四一万四二四〇円について亡佐藤の過失割合五〇パーセントの過失相殺をすると、残損害は二五二〇万七一二〇円となるところ、原告らが亡佐藤の死亡による損害について自動車損害賠償責任保険から三〇〇〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、亡佐藤の死亡による損害については既にすべて填補されていることになる。被告の抗弁はこの意味において理由がある。

四  よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根本眞)

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